沖縄県での教員不足問題
沖縄県で公立小中学校の教員が不足し1学級あたりの児童・生徒数を40人に引き上げられる可能性があります。
家庭が求める学校教育と学校が行う教育の限界と矛盾
教員のなり手が少ない原因にはもちろん長時間労働もあると思います。言葉は悪いけど「割に合わない」ということですね。
それ以外に、家庭が求める学校と学校が行う教育の限界や矛盾があるのではないでしょうか?
勉強以外のことですが、昔はある程度家庭で教育されて小学校へ入学しました。もちろん問題のある子もいましたが少数でした。今は一人っ子が多いのかわがままと言うか幼いというか、他人との付き合い方などを学ばずに小学校へ進む子が増えた印象があります。
その教育まで家庭は学校へ求めるのですが、勉強以外の教育というのは「家」「家庭」により多少の違いがあります。そこを学校が「こうあるべき」と教育すると今の時代は問題になるのです。
そこで学校は「多様性」「自主性」という教育理念をあげるのですが、捉え方によると暴力的な自由を許してしまうことになります。
最低限のルール・教育を家庭で学んで着ていないため、多様性や自主性を間違った捉え方をしてしまうのです。
今の時代、子どもたちを含めた「弱者」の大きな声というのは脅迫です。弱者の立場から言われた主張に対して反論すると袋叩きにあう可能性があります。
昔のように叩いて教育するということは絶対に許されません。しかし、多様性・自主性を盾に取られると教師はどうすることも出来なくなってしまいます。
教師の指導力不足などとも言いますが、正直な話、担任になった学級に一人でも上記のような子がいるとクラス全体に広がります。最悪は学級崩壊です。
教師の「責任」の分担を
現在の日本の教育方針のままいくなら、教師の「責任」を分担するべきだと思います。副担任などというものを作るのではなく、仕事自体を分業するのです。
まず、各教科の専任の教師を作りその教師は授業以外のことはしません。授業の妨げになる生徒がいた場合は、その生徒を教育指導の先生に送ります。教育指導の先生はその子を教育指導だけします。
その子は授業へ出席が出来ないわけですから、留年するかもしれません。それも仕方ないことだと思います。
教育指導でもだめな場合は、学校以外にそれなりの施設を作りそこで、授業を受ける・学校生活を送る事が出来るように教育するべきです。出来るまで教育するべきです。
その他、テストの採点などの雑用もあると思うのですが、授業しかやっていなければ問題なく採点出来るのではないでしょうか?
問題は昭和の時代の体制のまま現代の教育を行おうとしているところです。
自主性・多様性の他に生徒には「責任」を学ばせるべきです。自分が行ったことに対して、結果「責任」があると学ぶことは勉強以上に大切だと思います。
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